「日生君、私は。よろしくね」
これは日生が引っ越してきたとき、初めて話しかけた言葉。
彼の屈託のない笑顔を見て私は彼に一目ぼれをした。
『日生君』から『日生』になって…それまでは良かったんだけどなぁ。
「光っくん!こっちに来てよ!お菓子あげるから」
「なになに?何食ってんの?」
ぐ…まただ。今やクラスの人々の中で『日生』なんて呼ぶ人は一人もいない。
み〜んな『光っくん』なんだよね。
でも未だに光っくんって呼べない人が一人いた。
それはである。
「日生から光っくんって言い換えるのって簡単じゃない?」
親友の奈津は女子と戯れる日生を片目に呟く。
「簡単じゃないよ!全然難しいよ。そうだなぁ。例えると…」
「また始まったよ」
は『例えると』というのが小さな頃からの癖。
これが始まったら誰も止めることは出来ない。
「そうね…例えると今までずっと近所のお兄ちゃんと思ってた人が
実はお父さんだったことを打ち明けられたときの心情だったり」
「………」
「家で作ってた煮物の味が実は他人の家のと違ってたりしてそれを言い出せないときとか」
「………」
「前に自己紹介しあった人に出会って『久しぶり』って言われたのに
『あぁ〜』って名前が思い出せないのになかなかその場から離れられなかったときとか」
「確かによくあるよなそう言う事」
「でしょ?…ん?」
聞き覚えのある声が私と奈津の後ろから聞こえた。
「ひっ日生!?」
驚いたの声はひっくり返っていた。
すると目の前で奈津は、
『光っくんって呼んでいい?って聞いてみなよ』
と、口パクで言っている。
無理無理!!
絶対に無理だってば!!
はっ!日生ったら私が何か言うと思って何も言わずにこっちを見てるし…
「どうしたの?日生」
平然を装いながら私は尋ねた。
「いや、またがブツブツ言ってるから聞きにきただけだよ」
「え?ブツブツ?」
ちなみに本人は自覚なし。
「あれ結構楽しくて好きなんだよな〜俺」
「…?なんか言ってたの私」
「アレ?河野、もしかしてのアレって本人自覚なしなわけ?」
「そうよ。天然だからねこの子」
「へ〜そっか」
すると彼はとてつもない笑顔を見せた。
「!!」
かっかわいい!
いや、私的にはカッコイイ!
口を手で押さえながらは目をキラキラさせて日生を見つめる。
さっきまで『アレ』って言うのが気になってたんだけどもう忘れちゃった。
「どうしたんだコイツ?」
「あぁ放っておいていいよ」
冷めた口調で奈津は言った。
「そうそう光っくん。が光っくんに話があるってさ」
「え?話?」
そんなこと聞いてないよ?って顔に書いてあるほど素直な。
けど奈津のニヤニヤした顔を見てはすぐにその理由がわかった。
「何?」
「えっと…」
光っくんって呼んでもいい?
ってすぐに言えたらどんなに楽なことか。
「分かってるのよ…」
は小さく呟く。
「「え?」」
光っくんと奈津は声を合わせる。
「分かってるのよ聞かなくちゃいけないって、言えたら楽だって…
これができたら苦労はしないって…そうね、例えたら…」
「また始まったよ…」
「………」
目を輝かせながら光っくんはの言葉に耳を傾ける。
「例えたら、もうこれを見たら一人で寝られないって分かってるのに稲川○二の怖い話を見ちゃったり」
「あ〜〜あるある!!」
「学校で見る性のビデオなんてしょぼいに決まってるのに何故か期待して見ちゃったりとか」
「分かるな〜その気持ち」
「」
小さく奈津が突っ込む。
「ハッ?何?」
我に返る。
「あ、戻った」
「戻った?」
日生の意味不明な言葉に私を首を傾げた。
「いや、面白いなぁって思って」
「え?何が?」
「がさ」
「えぇ?」
わっ私?
何か変なことしたっけ?(十分しております)
「おーい光っくん!そろそろ移動するべ」
「分かった〜。じゃあ、またな」
日生はそう言うとニカッといつもの笑顔を向けて去っていった。
「はぁ〜奈津、どうしよう…私溶けるかもしれない」
「とっ溶ける!?」
「そうね、例えたら…」
「もういいよ…私たちも移動しよ。次は実験室でしょ」
「うん…!」
はぁ〜〜……
やっぱり好きって言わなくてもいいから、光っくんぐらいは呼びたいなぁ。
一年の女子にも『光っくん先輩』とか言われてるぐらいだし。
それなのに同じ学年で同じクラスの私が『日生』!?
もうちょっと勇気があれば…なぁ。
でも待って。
今更『光っくんって呼んでもいい?』とか言った方が不自然なような気が…
でもだからといっていきなり『光っくん』とか呼んだらサブイよねぇ。
の心の中ではとてつもなく小さな葛藤が広がっていた。
まあ彼女にとってはかなり大きな葛藤だったんだろうけど。
そんなことをグルグル考えているうちには目の前の階段に気づかず、
「ズルッ」
「え!?(汗)」
そして、そのまま足を滑らせ階段の下まで一気に落ちてしまった…。
「……ん?」
ようやく目を覚ましたはあたりを見渡してみた。
目の前には真っ白なカーテンに区切られた場所。
下は無地のベッド。
ここは…
「保健室?」
私の言葉に誰も返事は返ってこない。
どうやら私一人らしい。
なんだか一人の保健室って寂しい。
「切ないなぁ…」
「何が?」
「そうね、例えるなら…他の人は普通に光っくんって呼んでるのに呼べない自分と同じくらい切ない…」
「なら呼べばいーじゃん」
「そう簡単には…」
「俺もいつは『光っくん』って呼んでくれるんだろうって思ってたし」
「…俺も?」
─ガバッ
は急いで体を起こした。
そしてカーテンをシャッと開ける。
そこには…
「よっ」
右手をヒョイって上げながら日生が椅子に座っていた。
「え?あの、どういう…こと?」
「覚えてないだろうけど俺が運んだんだぜ」
「へっ?ウソ!?」
「本当に」
「えっやだ!ゴメン日生!」
「光っくんでいいってば」
彼はそう言うと最初に見せたときと同じ屈託のない笑顔を見せた。
それは私が好きになった笑顔。
「…うん」
彼につられて私も笑顔になっていく。
「分かったんだったら一回言ってみろよ」
「え?」
「早く」
「う゛…みっ光っくん」
すると彼はまた二ヘッと笑った。
なんだぁ…光っくんって呼ぶの簡単じゃん。
そう思いながらもう一度呟く。
「光っくん」
「ん?何?」
「ううん。何でもない!」
自分が言った光っくんって言葉に違和感を感じながらも胸の中は嬉しさでいっぱいになる。
きっとこれは光っくんをもっと好きになっていく印。
これだから恋はやめられない。
どんどん恋がステキになっていく。
「じゃ、実験室に戻ろうぜ」
光っくんはそう言って私に手を差し出した。
満面の笑みを浮かべながら私はその手をしっかりと握り締めた。