彼の隣を通る時、スーッとする匂いがする。
同じ歳とは思えないほど落ち着いてる郭君のことをそのころから意識し始めた。







同じクラスで席も隣なんだけど。
どうも私は男の人が苦手らしくって。
いまだ話したことがない。
まぁ席が隣だから友達になるって話もあるけれど。
席が隣だからって友達にならなくちゃいけないっていう規則があるわけでもない。
だからいいの。
隣に座れるだけで私は幸せ。









さん」
「…はっはい!?」
「前からプリント回ってるよ。気付かなかった?」
「…え!?あっうん」
顔を真っ赤にしながら顔を埋める。
男子と話すとき、顔が真っ赤になるのは昔からの癖で。
それが好きな人となると尚更だ。
私はプリントを回すと、少しだけ横目で隣を見つめた。
今の場合、『教えてくれてありがとう』とか言ったほうがいいのかもしれない。
けど、それが言えるほど私は人間が出来てなくて。
言おう、言おう…って頑張るんだけど。
声が後少しのところで出てこないの。




――郭君、教えてくれてありがとう




この一言だけなのにいえないなんて。
なんて意気地なしなんだろう。
いい加減嫌気がさすよ。



「はぁ」




本当はいつでも話し掛けられるように、たくさんテレビを見たりして人の話題についていけるようにした。
郭君はサッカーをしてるって女子が騒いでたから少しでも分かるようにお父さんにサッカーについて聞いたりもした。




――郭君って何処のポジションなの?


――郭君っていつからサッカー始めてるの?


――郭君って…




聞きたいことは無限にあるのに。
言葉が出てこない。
胸の中がムズムズしてやるせない気持ちが広がる。
はそんな自分が嫌で仕方がなかった。
「…」
そんな気分を隠すためにシャープペンを回す。




―カシャンッ…




「…あっι」
勢いよく回しすぎたせいでシャープペンは郭君の椅子の下に入り込んでしまった。
…どうしよう。
本気でどうしよう。
どうやってとりに行けばいいんだろ…ι
手を突っ込むわけにもいかないし。
「…」
ジッと郭の椅子を見つめるの視線に気付いた郭は、視線をに移した。
「どうしたの?」
「…あっえっと…あの…」
顔を真っ赤にさせながら。
手をバタバタさせながら。
は震える手を押さえて郭の椅子を指差した。
「…?」
郭もまた自分の椅子の下を覗き込む。
「…あぁ、シャープペン落としたの?」
「うっうん」
「ちょっと待って。拾うから」
「えっ!?」
は郭の目を見ずに下を向いていたので、その時郭がどんな顔をしていたのかは分からなかった。
だけど凄く優しい声をしてた気がした。
「はい」
さっさと拾い上げてしまった郭はゆっくりとシャープペンをに差し出した。
「あっ…ありが…とう」
「いいよ別に」
彼はフッと微笑むと、の手にシャープペンを移動させた。
「…!」
その瞬間、一瞬だけ…そう。
ほんの少しなのだけど。
彼の手がに触れた。






「…何?」
彼の方向を向いたまま硬直していた私に郭君は不思議そうな顔をした。
今までこんなに近くにいたのに、彼の顔をこんなにマジマジと見たのは初めてのことで。
自分の顔はきっと真っ赤を通り越してゆでだこみたくなってるんじゃないのかな…とか。
変な不安ばかりがよぎった。
「…さんとこうやって目を合わせたの、初めてだよね」
さっきと同じように柔らかく微笑む。






…あっ
あの時の匂いだ。
初めて郭君を見たときの…あの匂いだ…






「…郭…君って何かつけてるの?」
「…え?」
「なんていうのかな…スーッとする匂いが…する」
「あぁ。母さんが家でミントを栽培してるからかな」
「そっそうなんだ」
「もしかしてずっと気になってた?」
「うん。…えっ…いや、違くて(滝汗)」
ますます顔が真っ赤になる。
もうフォローが出来ないぐらいに。
きっと周りから見たら私が郭君を好きなんだってバレバレなのかもしれない。
さんはハーブとか好き?」
「え?…う…うん」
「じゃあ今度ミントの苗、分けてあげるよ(ニコ)」
「…いいの?」
「構わないよ」
教科書を机の上でキチンと整えながら彼は答えた。
私は彼の方を向いたまま固まって動けなかった。





嬉しい…。
凄く嬉しい。





でも現実はそう甘くはなかった。












さんさあ、さっき郭君と何話してたの?」
「…え?」
放課後、一人で帰っていると、目の前にクラスメイトの田村さんと西野さんが現われた。
は何が起きたのは分からずキョトンとその場に立ち尽くす。
「もしかして郭君のこと好きなわけぇ!?」
「…え?」
「やめてよねぇアンタみたいなジミ子に好かれても郭君困るだけだからさぁ」
「…!?」
「で、何話してたわけ?」
はうつむいたまま顔を動かすことが出来なかった。
ただ頭の中には、ピコンピコン…と危険信号が鳴り響いてて。
私は今どうしたらいいのか。
そのことを考えると余計に頭が回らなかった。
「…ミ…」
「…み?」
「ミントの苗を…わけてくれるって…」
「は?」
「マジ!?信じらんないぃ!!わざと郭君の話に合わせてそんなことができるなんてさぁ!」
「ホントホント!こういう女に限ってねぇ」






「限って…?続きは?」






聞き覚えのある大人っぽい声。
同級生とは思えない落ち着いた響き。





「あ…郭…君ι」
「何やってるの?」
「いや、普通に…ねぇ、さんと話を…」
「そうは見えなかったけど?」
「だっだってさ、田村が…」
「ちょっと待ってよ!言い出したのは西野の方じゃん!!」
「俺の質問に答えてくれる?」
冷めた口調で、二人を責める。
こんなに怒ってる郭君を見るのは初めてかもしれない。
ううん。
初めてだ…。




「じっじゃあね!郭君バイバイ!」
「あっわっ私も!!」
二人は目にもとまらぬスピードで郭との前から走って消えてしまった。






「…」
「何て言われたの?」
「…そ…それは…」
「俺にいえないこと?」
「いや、そうじゃないんだけど…」
「じゃあなに?」
「…か…」
「か?」
「…郭君のことが好きなのかって…」
「…へぇ」
「でも…だっ大丈夫だから!わっ私郭君のこと好きじゃないからっ!だから気にしない…」
「嫌いなの?」
「え……嫌い…じゃない…よ」
好きだよ。
凄く好きだけど。
いえないよ…。
だって同じクラスで席が隣なのに…言って気まずくなりたくないよ。
「俺はさんのこと好きだよ」
「…え?」
「同じクラスになった時も嬉しかったし、隣の席になった時も嬉しかったよ」
「…ウソ…」
「こんなことでウソをつくわけないでしょ」
少し困ったようにフッと微笑む。
「…私も……好き…////」






私は俯いていたので、彼がどんな顔をしていたのかは分からなかったけれど。
彼はとても落ち着いた声で『良かった』と声を漏らして、私の肩を抱き寄せた。








ミントの香りがした。
出会ったときと同じ、ミントの香りが…