欲しいものがあっても手に入らないものは入らない。
いつからだろう…
簡単に諦めてしまうようになったのは。
LIES AND TRUTH
「さ〜ん!早く集合して!早くしないと申し送りが始まっちゃうよ」
津田先輩の声は病院内に響くほど大きいものだった。
「はい!スミマセン…!」
急いで廊下を駆け抜ける。
鏡に映るナースキャップをかぶった自分の姿。
ようやく慣れてきたんだよね。
看護師の自分に。
「じゃあ今日は一人患者さんが入院されたので…さん担当してくださいね」
「あっはい」
「患者さんは103号室の椎名さん。交通事故の為右足の複雑骨折で一ヶ月ぐらいの入院の予定だから」
「分かりました」
急いで“椎名さん”の資料をまとめる。
椎名……
懐かしい名前
口パクでボソッと呟くと胸の中で何かが震えた。
「よっし!行くか!」
私は気を取り直して病室へ向かう。
─コンコン
静かにドアを開けるとそこには一人たたずむ男の人の姿があった。
一人しかいない病室に光が差し込む。
「おはようございます。椎名さん。今日からあなたを担当させていただくです」
手際よく片手でドアを閉めながらは言った。
「…?」
彼が言葉を発した瞬間、全神経が反応した。
私の知っている“椎名”よりもはるかに声は低いけれど…それはどこか聞き覚えのある声。
もしかして…
小さな不安と期待が交錯する。
逆行がまぶしくて彼の顔がよく見えない私は目を凝らしてみた。
そんな私の姿に彼は『シャッ』とカーテンを勢いよく閉め始める。
そこに現れたのは忘れるはずもない"椎名翼"の姿。
中学生のときと違ってだいぶ雰囲気は変わったけれど…
顔の面影は全然残っている。
以前は睫毛は長く、色は白くて…とにかく一言でいえないくらいキレイだった。
だけど今は…完璧に大人の男の人になってる。
「翼…」
震える口を押さえながら私は呟く。
「、覚えててくれたんだ」
にっこり笑いかけながら彼は言う。
その笑い方…全然変わってない。
「当たり前でしょ…飛葉中サッカー部のマネージャーだったんだから…」
「まあね。それにしてもは変わってないね」
「え?そうかな?」
少しは大人っぽくなったつもりだったんだけどな…。
そんなに変わってないのかなぁ…(涙)
「うそうそ。大人っぽくなった」
「…え?」
「キレイになったよ。は」
当たり前のようにポンポンと言葉を発する彼の姿に私は顔を真っ赤にさせる。
なっなんでこの人…照れもしないで言えるんだろう。
って言っても相手はあの椎名翼、だしね。
「でも本当に偶然…だね。あれから八年?今…翼は何をしてるの?」
「なんだと思う?」
「……」
私は何も答えられなかった。
彼と離れたあの日から、サッカーに関するものは全て見てこなかったから…
今翼はどんな生活をしてどんな仕事をしているのかなんて…
本当に分からない。
知りたくもない。
「…椎名さん。話が脱線しちゃってごめんなさい。朝のバイタルを測定しますね」
はぐらかすように私は聴診器を手に取る。
視線を外しても分かる。
翼は私を直視してるって…。
─パタン
は自分がどんな質問をしたのか、どんな顔をしていたのか…
そんなことにまで気が回らないまま病室から離れた。
一刻も早く離れたかった。
だって―
「あっさん!」
津田先輩の声が聞こえる。
「なんですか?」
「さんの担当している患者さんってあの"椎名翼"なんでしょ!?」
「そうですけど…あのって?」
「やだ!知らないの!?サッカーの日本代表選手じゃない!!」
「…え?」
「いいなぁ。今からでも代わってもらいたいくらい!」
羨ましそうに彼女は上目遣いをしながらこっちを見てくる。
「そうなん…ですか。日本代表選手…」
彼女の言葉を聞いた瞬間…
胸の中に一つ穴があいたような気持ちになった。
「夢……叶えたんだね」
誰にも聞こえないほどの小さな声で私は呟いた。
あの日から封じ込めてた記憶。
八年前、中学生のとき、私は翼と付き合っていた。
あのころは、柾輝もいて、ナオキもいて畑たちもいて…毎日が楽しかった。
転入してきた翼に告白されたときは…本当に嬉しくって。
この日々がずっと続いていくもんなんだろうって思ってたし。
高校も同じところに行くものだと、ずっと思ってた。
「あのさ、」
「何?」
「実は俺、と同じ高校に行けなくなったんだ・・」
「・・・え?」
「サッカーの名門校の推薦が決まってさ。これってすっごいチャンスだろ?」
「う…うん」
翼があまりに嬉しそうな顔をしているせいで私は何も言えなかった。
「…応援、してくれるよね?」
ふっきれたような顔を見せた後、彼は真剣な顔を見せた。
「……」
言葉が出てこなくって…
だって大好きだったから―
翼との楽しい日々はこれからも続いていくものだと思っていたから…
応援?
するよ当然…
「当たり前じゃない」
私は出来る限り笑顔を見せた。
だってサッカーが好きな翼を好きになったんだもの。
止める理由なんてないじゃない。
それにちょっとぐらい離れても大丈夫…
「その学校はさ、海外にあるんだよ。ちょっと遠いけど…」
「…外国?」
ちょっとどころじゃない…全然遠い。
よく友達が遠距離恋愛とか言ってて…それで別れるとか信じられなかった。
好きだったら離れてても大丈夫じゃない?
そう思ってたから…
けど本当に自分がそうなったときって言葉が出てこないね。
行かないで…って言っても彼は私のことなんて無視して行ってしまう。
…私には恋人として待ってられる自信なんて…ないよ。
「そうなんだ…」
私の切なそうな顔を察知したのか翼は口を開いた。
「でもプロになったら絶対にこっちに戻ってくるからさ、心配しなくても―」
「翼…」
私は彼の言葉を遮って彼の名前を口にする。
「私…たち、別れよう?」
その言葉に翼の顔は歪んだ笑顔に変わっていった。
「なんで…だよ?」
「私、待ってる勇気ない。…待ってられないよ」
頬に伝う涙にも気づかないでは言った。
その姿に言葉を失う翼。
翼は一瞬落胆の表情を見せた…が、次の瞬間また普段の顔に戻ってた。
「分かった」
彼は申し訳なさそうな笑顔を見せるとその場から立ち去ってしまった。
そのままぎこちなくなっちゃって、
そして無情にも卒業式が来て…私たちは別れた。
あれから私は翼のことを忘れるためにサッカーという記憶を消そうとした。
テレビもそういう雑誌にも興味を持たないようにした。
八年経った今でも思い出すと胸の辺りが痛む。
アレから私には好きな人が出来なくなった。
いつも心はどこか翼に支配されていて…
別れを告げたのは私のくせに離れられなくなってたのも私の方。
「…なんで今さら現れるのよ」
下唇をキュッと噛みながら呟く。
「さん」
「…え?」
急いで声がした方を振り向く。
そこには…
「西園寺先生…」
「どうしたの?元気がないわね」
ちなみにこの西園寺先生って言う医者は、実は西園寺玲監督の従姉妹だったりする。
顔は双子並みにそっくりで性格なんて瓜二つ。
この病院に配属された最初のころは慣れなかった。
だって中学校のときの顧問がいるみたいなんだもん。
「そういえば、あなたの担当患者、翼なんだって?」
「…え!?知ってたんですか?」
「担当の看護師がさんって言ったら、玲びっくりしてたわよ」
「ハハ…(そりゃあね。昔の恋人同士だし…)」
「それと話さなくちゃならないことがあるのよ」
「…え?なんですか?」
「翼の病状のことなんだけど…」
そう言った、西園寺先生の表情は心なしか重い。
「…?」
「ただの複雑骨折ってなってるけど…本当はそれだけじゃなかったの」
「どういう…ことですか?」
「本当はねナース全員に言わなくちゃならないことだとは思うんだけど…
皆ミーハーだからね。その分、あなたなら担当患者だしきちんと秘密も守ってくれると思うから」
遠まわしに言おうとする彼女の言葉にの気持ちは焦る一方。
「なんなんですか?」
「実はね、彼CTの検査を行ったでしょ?そうしたら黒い影が見えたのよ…」
「…え?それって…」
嫌な予感が全身を駆け巡る。
「ええ…脳梗塞だわ。それにもう末期状態だったの。あと一ヶ月もたないわ…」
「な、何を言ってるんですか?」
彼女の言う言葉がまるで現実味を帯びなくて…
頭は真っ白になっていく。
「まだ翼には話さないでね。両親や玲には私から話すわ」
口元に手を添えながら悲しそうに笑う彼女の姿には自分の体が震えていることにも気づかないでその場に立ち尽くした。
翼が……死ぬ?
未だに信じられずにいる。
目の前は気のせいか霞んで見える病院の白い壁。
ウソ…でしょ?